槇本楠郎その2

 ひつくりかへされた甲虫は、仰向けになつたまゝ、六本の太い足をモゴ/\動かすばかりで、どうしても起きられません。そのうち固い甲羅のやうな黒い翅を開いて、その中から、茶色の薄絹のやうな翅を出して、ブルル・ブルルとふるはせ出しました。と思ふ間にくるッと起きあがり、そのまゝ空中に飛びあがると、ブルルンといふ翅音を立てながら、お縁を飛び出して、庭の空にまひあがつてしまひました。真奈ちやんの大切な小さい指環を、赤い糸の先にブラ下げたまゝ。
 みんなポカンとして見てゐるうちに、甲虫は庭の空を横切つて、垣根の隅にある、大人の一抱もある、高い/\柿の木のてつぺんの枝にとまつてしまひました。指環がキラ/\しながら、ブランと下つてゐます。
「あッ!」
 みんなびつくりしました。大騒ぎになりました。庭に出て高い枝を見あげましたが、物干竿だつてとどきさうにはありません。もし、も一度とんだら、どこまで逃げて行くかわかりません。
 お母さんを呼び、お父さんを呼んで来ました。けれど、お母さんはまぶしさうに見あげるばかりですし、中学校の英語の先生であるお父さんは、昔から木登りなんか少しも出来ないので、みんな見あげてはさわぐだけです。真奈ちやんは泣けさうになつて来ました。

猿から貰つた柿の種
だまされたとは知らぬ蟹
ねぢ鉢卷で肥料やる
二葉に芽が出て花が咲く
果がなりやどこから出て來たか
ひよつくり山猿・赤い顏

見事見事とほめそやし
つる/\登つて山猿め
ムシヤ/\頬張る赤い柿
氣のよい蟹はだまされて
下から見上げて待つてれば
甲羅にはぢける青い柿

やれ/\ひどい山猿め
こいつ逃がしてなるものか
仲間の石臼・蜂に栗
大勢味方が集つて
たうとう山猿・赤い顏
チヨン切り落して蒼い顏

 つばめは、まいあさ早く、すずしいたんぼの上へ、ツーイ/\ととんで来ました。そして身がるさうに、ななめにとんだり、クルリとひつくりかへつたり、作物の頭とすれすれにとんだりして、目をさましたばかりの作物に、かう挨拶していきました。
「みんな、おはやう。かはつたことはありませんか?」
 すると、朝露にぬれた作物たちは、みんな顔をあげて、つばめに挨拶しました。
「つばめさん、おはやう。かはつたことはありません。」
 作物たちは、自分の新芽や葉を食べるわるい虫を、みんな、つばめにとつてもらつてゐたのです。だから、まいあさつばめが見まはりに来ると、かう挨拶してゐたのです。
 ところが、ある朝、つばめがツーイ/\と、とんで来て見ますと、畑のまん中で、作物たちの、喧嘩がはじまつてゐました。よく見るとそれは、なすときんまくわとでした。